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四度目の革命のなかで ── 価値は、どこへ移るのか

AI革命が入れ替える、価値の物差し

池田 武弘(closip)|

革命の本当の正体は、新しい技術の登場ではなく、「何に価値を置くか」という物差しが入れ替わることにあります。農業・産業・情報に続く四度目の革命のなかで、価値はどこへ移るのか。世界の時価総額の変遷から、AIの層構造、そして人間に残る領域までを辿ります。

革命とは、物差しが入れ替わること

革命とは、何が変わることを言うのでしょうか。

新しい技術が生まれること——多くの人は、そう考えるかもしれません。けれど、私は少し違う見方をしています。技術はきっかけにすぎず、革命の本当の正体は、「何に価値を置くか」という、人々の物差しそのものが入れ替わることにあるのではないか、と。

振り返れば、人類はその物差しの入れ替えを、これまでに三度、経験してきました。

ひとつめは、農業革命です。狩猟と採集に明け暮れた暮らしから、土地を耕し、一つ所に住まう暮らしへ。このとき人々の物差しの中心にあったのは、土地や蓄えを「所有」し、生活を「安定」させることでした。

ふたつめは、産業革命。機械が大量生産を可能にし、これまでとは比べものにならない量のものを生み出せるようになります。価値の中心は、「効率」と「生産性」へと移りました。

そしてみっつめが、情報革命です。コンピュータとインターネットが、知識をまたたく間に世界中へ行き渡らせる。価値の物差しは「情報」と「知識」をどれだけ持ち、活かせるかへと変わっていきました。

いずれの革命も、新しい道具の登場として記憶されています。鋤、蒸気機関、コンピュータ。けれど、その道具がもたらした本当の変化は、道具そのものよりも、人々が「何を大切と考えるか」が根こそぎ入れ替わったことにありました。所有から効率へ、効率から知識へ。物差しは、革命のたびに静かに、しかし決定的に置き換わってきたのです。

そしていま、私たちは四度目の革命——AI革命の只中にいます。

では、この四度目の革命で、価値の物差しは何に移るのでしょうか。これが、今日考えてみたい問いです。

時価総額は、物差しの入れ替えを映す

その問いに答える前に、ひとつ確かめておきたいことがあります。「物差しが入れ替わる」と言うけれど、それは本当に、目に見えるかたちで起きるのか。

確かめる方法があります。企業の時価総額です。世の中が何に価値を置いているか——その物差しは、人々がどの企業にお金を託すかという数字に、如実に映し出されるからです。三つの時点を、並べてみましょう。

まず、情報革命前夜の1990年。世界の時価総額ランキングの上位は、日本の銀行や通信、電力といった企業がほとんどを占めていました。NTT、いくつもの大手銀行、電力会社。巨大な設備と資本を備え、社会のすみずみにモノやサービスを「効率」よく行き渡らせる——産業革命が磨き上げた「効率」と「生産性」の物差しで、最も価値あるとされた企業たちです。

それから三十年が経過し、情報革命による価値の変動がひと段落した2020年ごろの上位は、顔ぶれが様変わりします。Apple、Microsoft、Amazon、Google、Meta——いわゆるGAFAMと呼ばれる企業群です。彼らが握っていたのは、土地でも設備でもありません。情報と知識、そしてそれを動かす仕組みでした。物差しは「効率」から「情報」へ、すっかり移っていたのです。

そして2026年。AI革命が静かに始まったいま、上位の顔ぶれには、また新しい変化が起きています。半導体をつくる企業が、頂きへとせり上がってきました。世界で最も価値ある企業の座にあるのは、AIの計算を担う半導体メーカー。その周りには、半導体の製造を一手に引き受ける企業や、AI向けの専用チップを設計する企業が、続々と顔を出しています。

およそ三十五年のあいだに、世界の頂きは、銀行から、情報企業へ、そしてAIを動かす企業へと、二度も入れ替わりました。

これは偶然ではありません。価値の物差しが入れ替わるたびに、その新しい物差しで最も価値があるとされる企業が、頂きへとせり上がってくる。革命とは、まさにこの「頂きの入れ替え」を引き起こす出来事なのです。かつて世界に冠たる存在だった日本の企業群が、いまのランキングにその姿をほとんど残していないことは、私たち日本人にとって、少し残念に思うところです。

AIの世界は、層として眺める

さて、ようやく最初の問いに戻れます。四度目の革命、AI革命で、価値の物差しは何に移るのか。

答えの半分は、もう見えています。AIの計算を担う半導体メーカー——NVIDIAが世界の頂点に立ち、その評価額は五兆ドルを超えました(執筆時点)。AI革命で価値が上がる企業はどこか、と問えば、多くの人がこうした企業の名を挙げるでしょう。半導体をつくる会社、そしてAIの頭脳そのものをつくる会社。OpenAIやAnthropicといった名前も、すぐに思い浮かぶはずです。

それは、正しい。けれど、ここでは、誰もが挙げる自明な答えのその先を想像してみたいと思います。

そのために、ひとつ整理をさせてください。いま名前を挙げた企業たちは、実は同じ土俵では比べられません。

NVIDIAや、半導体製造を担う台湾の企業は、株式市場に上場している会社です。その価値は、世界中の投資家が日々売り買いするなかで決まる、いわば「市場が確定させた値段」です。一方、OpenAIやAnthropicは、まだ上場していない会社です。その評価額は、一部の投資家が出資する際につけた値段——いわば「これから伸びるだろうという期待値」です。Anthropicは先ごろ、この期待値が約一兆ドルに達したと報じられました。けれど、市場が確定させた値段と、期待で膨らんだ値段とを、同じものさしの上に並べることはできません。

では、どう捉えればいいのか。私は、平らなランキングで順位を競わせるのをやめて、縦の層(レイヤー)として眺めることを提案したいのです。AIの世界は、いくつもの層が積み重なってできています。

いちばん下に、電力やデータセンターの層があります。AIは、膨大な電気と計算設備がなければ一文字も生み出せません。その上に、半導体・計算基盤の層。AIの計算を物理的にこなすチップをつくる、NVIDIAのような企業がここにいます。さらにその上に、基盤モデルの層。知能そのものを設計する、OpenAIやAnthropicのような企業の居場所です。

面白いのは、この三つの層が、いま急速に一体化し始めていることです。先ほどのAnthropicの巨額の調達を例にとれば、集めた資金の多くは、計算基盤や電力——つまり自分の足元の層——へと支払われていきます。モデルをつくる会社が、半導体や電力を確保するために巨費を投じ、その金が下の層の企業に流れ込む。資金が層から層へと環流し、互いをますます分かちがたく結びつけていく。フロンティアと呼ばれる最先端のAIは、もはや一社が単独で抱えきれる規模を超え、層をまたいだ巨大な資本の塊として動き始めているのです。

ひと握りの「基盤の層」と、私たちの立つ場所

ここまでの三つの層——電力、半導体、基盤モデル。これらをひとつにまとめて、「AIの基盤をつくる層」と呼ぶことにしましょう。AIという巨大な機械を、足元から動かしている領域です。

この層について、はっきりしていることがあります。ここで価値が膨らんでいくのは、もはや疑いようがない、ということです。世界で最も価値ある企業がこの層から生まれていることは、すでに見たとおりです。AI革命の「自明な答え」は、まさにこの基盤の層にあります。

けれど、同時に、もうひとつはっきりしていることがあります。それは——この層は、ごく限られた者たちの戦場だ、ということです。

数兆ドルの計算設備、国家規模の電力、世界中から集まる巨額の資本。この層で戦うために必要なものを思い浮かべれば、それが私たちの大多数にとって、現実的な土俵でないことはすぐにわかります。ここは、ひと握りの巨大な資本だけが立てる場所なのです。

このひと握りの基盤をつくる側にいない、ほとんどの企業と人間にとって、本当に重要な問いは、こちらのはずです。

——その巨大な基盤の上で、私たちは、いったい何をするのか。

AIの世界には、基盤の層の、さらに上があります。その基盤を使って、実際の仕事を動かし、人の暮らしに届けていく層です。そここそが、私たちの大多数が立っている場所であり、これからの価値が問われる場所です。私はこの領域を、「AIの基盤をつくる層」と対置して、「AIを活用して人間が価値を生む層」と呼びたいと思います。

AI革命をめぐる風景は、この二つの大きなまとまりで見たときに、ようやく自分ごととして立ち上がってきます。ひと握りの資本が支配する「基盤の層」と、残りの私たちすべてが立つ「人間が価値を生む層」。前者の価値が上がることは、もう語り尽くされました。これから語られるべきは、後者で何が起きるのか、です。

AIが知的な仕事を担うと、人間に何が残るのか

その問いに答えるために、AIが何を得意とするのかを、いま一度見つめ直してみます。

文章を書く。要約する。翻訳する。コードを書く。図表をつくる。調べ、整理し、たたき台をこしらえる。AIが驚くほどの速さでこなしてみせるのは、これまで「知的な仕事」と呼ばれ、人間の頭脳の専売特許とされてきた領域です。情報革命が「情報と知識」を価値の中心に押し上げたことを思い出せば、これは少し皮肉な話でもあります。AIは、前の革命がいちばん尊いとした能力を、まっさきに引き受け始めたのです。

では、AIが知的な仕事を担っていくほどに、人間の側には何が残るのでしょうか。

残るのは、AIが容易には立ち入れない領域です。私はそれを、大きく三つの方向で捉えています。

ひとつは、創造性にかかわる仕事です。AIは、膨大な学習データのなかから、もっともふさわしい答えを選び出し、組み合わせて回答を差し出すことに長けています。けれど、それは裏を返せば、すでにある材料の外側へは、自力では出られないということでもあります。何もないところから「問いそのもの」を立てる。まだ誰も見たことのない可能性に、最初に賭ける。そうした営みは、過去の蓄積から最適解を導くAIの仕組みとは、根のところで異質です。ゼロから何かを生み出す仕事が、ここに含まれます。

ふたつめは、身体性に根ざした仕事。生身の身体をもって、その場に立ち会わなければ果たせないこと。人の健康を支え、身体を動かし、手当てをする。介護や医療、運動や、対面でなければ成り立たないサービスが、ここにあります。

みっつめは、感性と関係性にかかわる仕事。人の心の機微を察し、信頼を結び、もてなす。美しいものを生み、場の空気を整える。芸術や、人をもてなす仕事、人と人とのあいだを取り持つ仕事が、ここに息づいています。

創造性、身体性、感性と関係性。私はこれらを束ねて、「人間価値産業」と呼びたいと思います。AIが人間の知的な仕事を引き受けてくれるからこそ、その対極にある「人間ならではの価値」が、相対的に、しかし確かに、重みを増していくのです。

思えば、これは過去の革命でも繰り返されてきたことでした。産業革命で機械が人の手仕事を肩代わりしたとき、誰がその先に、観光や外食やスポーツといった、人が人らしく時間を過ごすための産業が花ひらくと予測できたでしょうか。新しい技術が人間からひとつの役割を引き取るたびに、人間は、より人間にしかできないことのほうへと、価値の重心を移してきたのです。

冒頭で投げかけた問いに、私なりの答えを置きます。四度目の革命で、価値の物差しは何に移るのか。それは、AIが賢くなればなるほど、皮肉にも——AIには決して宿らない、人間性そのものへと移っていく。私はそう考えています。

境い目は、襟の色ではない

ここで、ひとつの、少し挑発的な対比が浮かび上がってきます。

産業革命からこのかた、私たちはどこかで、こう信じてきました。身体を使う仕事——いわゆるブルーカラーの仕事は、いずれ機械に置き換えられていく。一方、頭を使う仕事——ホワイトカラーの仕事は、知的であるがゆえに安全だ、と。だからこそ多くの親が、子に「手に職」より「よい学校、よい机の上の仕事」を願ってきたのです。

ところが、AI革命は、この長く信じられてきた順序を、一部でひっくり返しつつあります。まっさきにAIに引き受けられていくのは、むしろ机の上で完結する知的な作業のほうかもしれない。逆に、身体や現場や、人と人との関わりが欠かせない仕事は、AIには容易に手が届かない。私たちが「いずれ消えていく」と思っていたものの中にこそ、これからの価値が宿る——そんな逆転が、静かに始まっているのです。

ただ、ここは、慎重に申し上げなければなりません。

これは、「ブルーカラーは安泰で、ホワイトカラーは終わりだ」という、単純な話では決してありません。そんな乱暴な話ではないのです。

工場で同じ手順を繰り返すような定型的な作業は、AIとロボットによって置き換えられていく側にあります。ブルーカラーのすべてが守られるわけではない。同じように、ホワイトカラーの仕事のなかにも、AIには代わりのきかないものが、たくさん残ります。複雑な状況を読んで決断を下す。利害の異なる人々のあいだを取り持つ。ばらばらの情報を束ねて、一つの意味へと統合する。こうした仕事は、むしろこれから、ますます重みを増していくはずです。

ですから、正確に言い直せば、こうなります。境い目は、ブルーかホワイトか、ではない。「定型的で、手順に還元できる仕事」か、それとも「身体性や、現場性や、人と人との関わりが欠かせない仕事」か——分かれ目は、そちらに引かれているのです。襟の色は、本質ではありません。

この線引きは、おそらく、この文章を読んでくださっているあなた自身の仕事のなかにも、引かれています。一日の仕事を思い返してみたとき、AIに託せる定型の部分と、自分にしかできない部分とは、案外はっきりと見分けられるのではないでしょうか。

どこにいるかより、どこへ向かうか

さて、長い道のりでした。最後に、ここまでの話を畳んでおきます。

AI革命は、価値の物差しを入れ替えます。そして新しい物差しのもとで、価値は二つの極へと向かっていきます。

ひとつの極は、AIの基盤をつくる層。電力、半導体、そして知能そのもの。ここはひと握りの巨大な資本が支配する、天文学的な価値の世界です。もうひとつの極は、人間にしかできない価値を最大化する層。創造し、身体で関わり、心を通わせる——AIが賢くなるほどに、相対的に重みを増していく領域です。

二つの極は、遠く離れているようで、同じ一つの革命の、表と裏なのです。

では、そのあいだに——二つの極のちょうど中間に位置する仕事は、どうなるのでしょうか。机の上で完結し、手順に還元でき、AIに託せてしまう知的な作業。それを主力としてきた企業や働き方は、おそらく、これからもっとも難しい場所に立たされます。これは脅しではなく、私が冷静に見据えている構造です。

けれど、悲観する話ではないと、私は思っています。中間にいるとわかったなら、どちらの極へ向かうかを、選べばいい。基盤の層で戦うのは難しくとも、AIをいち早く使いこなす側に回ることはできる。あるいは、自社の仕事のなかに眠っている「人間にしかできない価値」を、もう一度掘り起こすこともできる。どこにいるかより、どこへ向かうかが問われているのです。

私は、AI革命を、礼賛する者でも、恐れる者でもありません。ただ、この大きな地殻変動を、できるだけ静かに、できるだけ正確に見つめていたいと思っています。そして見つめれば見つめるほど、確信を深めることがあります。AIがどれほど賢くなろうとも——いえ、賢くなればなるほど、最後に価値の中心へと戻ってくるのは、ほかでもない、人間そのものなのだということを。

四度目の革命の只中で、私たちは、改めて問われています。あなたの会社は、あなたの仕事は、どんな人間の価値を世に届けているのか、と。その問いに、自分の言葉で答えられる企業こそが、この革命を越えていくのだと、私は信じています。